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人生はぐるぐる

映画

思慮深い人にオススメしたいSFアニメ映画のファンタスティック・プラネット

基本的にアニメは見ないが、自分の感性にビンビンにひっかかる芸術性の高いものはまったく別物である。
良い物は良い。あまり知られていないとは思うが芸術性の高い作品を紹介したい。

1973年に放たれたフランスのルネ・ラルーさん監督によるSFアニメ映画。※日本では1985年に公開
原作はステファン・ウルさんのSF小説「オム族がいっぱい(Oms en Série)」をベースとして作られた「ファンタスティック・プラネット(Fantastic Planet)」である。

画の力もそうなのですが、音楽も時代を感じて良いし、ストーリーがとても面白く1973年に作られた映画とは信じがたいぐらいのクオリティー。後述するが、むしろ今現代よりも先のストーリーをこの映画で見せてくれているのかもしれないとさえ思っています。なお、本作品はアニメ初のカンヌ国際映画祭審査員特別賞受賞しています。

元祖進撃の巨人なんて言われてたりしますが、このシーンがそう言われているのかもしれませんが。。。

かの、宮崎駿さんもルネ・ラルーさんに影響を受けたとか。

音楽といえば、ジャズ、昔のプログレッシブ音楽を彷彿させると感じた。例えば、昔の日本アニメだとルパン三世や日本ドラマのサスペンス系、松田優作さんの探偵物語で差し込まれる音楽。洋楽だとKing crimson(キングクリムゾン)、Pink Floyd(ピンクフロイド)、yes(イエス)あたり。1973年といえばその時期といえばその時期ではあるか。

絵に関しては、確かに人によっては恐怖を感じてしまう可能性があるが、ブルーマンに比べれば優しい方だろうと思う。

 

あらすじ

現代の人類のような容姿をしているオム族と、オム族よりもかなり巨大な身体で高度文明を保有していて青い皮膚、赤い目をした特徴のある生命体のドラーグ族。その2つの種族がいる惑星イガムでの物語。オム族=人間の事である。よって以下からは人間=オム族の事だと脳内置換をして頂きながら読んで頂きたい。

ドラーグ族からすると人間はペット、もしくは、野良人間は害虫扱いとされており季節毎に駆除をしている。

その為、野良人間 VS ドラーグ族の争いが起きている。

ペットして買われている人間がドラーグ族の少女と一緒に高度文明を勉強する事で成長して、
ペットとして飼われている事に疑問を感じて逃げ出し野良人間と出会い一緒にドラーグ族がいない自然の惑星に脱出しようとするが。。。

ざっくりなあらすじで言うとこんな感じです。

どうですか。興味を持ちましたか?ご自身で内容を確認したいという方はここから先はネタばれがあるのでご自身で見た後にでもぜひ読んで頂けたら嬉しいです。

恐らく結構マニアックな作品なのでレンタルはされていない可能性やごく少数な気がします。現在はblu-rayの高画質版が良心的な値段で販売されているので是非ご購入をご検討してみてください!なお、blu-ray版には「かたつむり」という別作品も入っているのでお得だと思います。個人的にはかなりオススメ出来る作品だと思っていますので売っているうちに購入した方が良いですよ。
※もともとこのファンタスティック・プラネットは3万円とかの高値がつけられて取引されていた映画です。

※CDに「LA PLANETE SAUVAGE」と書いてあるのは原題です。

 

はじまり

ドラーグ族の子供が小さな人間の親子をいじめて遊んでいる所からこの物語がはじまる。
指で跳ね飛ばしたり、人間が動けなくなるように壁を作ったりとしてもてあそんでいた所にドラーグ族の親子が通りかかる。

 

ティバとテールの出会い

巨人であるドラーグ族からすると人間は小さく脆く見える為、虫けらのように扱われたり、ドラーグ族のその人格によってはペットとしての扱いをされている。どのぐらいの差があるかというと一番最初の画像を見て頂けたらわかると思います。

ドラーグ族の子供達に人間の母親と子供がいじめられておりそのせいで母親が他界してしまう。
そこに偶然通りかかったドラーグ族の市長とその娘の少女ティバが取り残されて泣いていた人間の子供を見つけ、拾ってテールと名付けてペットとして飼う所から話が始まる。ペットなので首輪をされておりティバの左腕に首輪を制御する装置があり逃げたとしてもその装置を操る事で飼い主の所まで呼び戻す事が出来るので逃げる事が出来なくなった。

 

議会、そして人間について

場面は変わりドラーグ族の議会の場面。
人間の話題になり、ドラーグ族の学者は人間は適応能力が高く知性があるので賢いが生命が短い為、生殖を繰り返している。
だがその一方で、ドラーグ族に危害を加えている人間もいる事から危険だとも思われている。
高等人種は少ないがその反面野蛮人種が多い為、季節ごとに「駆除」しているという。つまり人間が害虫みたいな扱いである。

ドラーグ族はかなりの高度文明を持っている設定になっており、子供の育成には頭にカチューシャのようなリングのレシーバーと呼ばれているものを装着する事で頭の中で学習をする。

ティバはその学習の際にテールを掌におく事で同じようにドラーグ族の学習を小さい頃から一緒に行っていた。学習していく事で言葉も覚えて話す事も出来るようになっていた。また、自分がおもちゃ扱いされている事も自分で理解するようになっていた。
この学習した内容は永久に残るという。ドラえもんの暗記パンはそのパンが体内にあるうちだけしか効果が無いので永久となるととんでもないレシーバーの学習仕組みである。これはドラーグ族だけでなく人間も同じである。
ストーリーテラーのテールが永久に残るという解説が入っているので生命体問わずのものなのだろう。

ドラーグ族が眠る時に足が蛇のように長くまるまっている所から人間の進化系というよりも、そもそもでそういう種族のように思える。耳の箇所はエラみたいなのがついているし魚類系とも考えられるが足が尻尾のように変化する事から特定の何かの進化というものは思いつかない。

季節は3つでそのうち、説明があり描写があったのはクリスタル季のみで地面から出ているものにクリスタルが付着する。
そのため、人間が数秒地面の上で立ち止まっているとクリスタルが付着して動けなくなる。
しかし脆い特性があり口笛でクリスタルが砕けるという仕様になっているのがよくわからない。割れる音も貧相な音なので口笛のヘルツの共鳴で割れるという設定なのだろうか。

 

瞑想

ドラーグ族は一日の大半を瞑想する事で過ごす。ティバが瞑想に初めて参加する日を迎えると、徐々に瞑想を通して成長していく事でテールとは遊ばなくなっていた。

このSFアニメでの奇妙、かつ、芸術性を感じる1つの描写である。

瞑想開始・・・

瞑想中の1コマ。恐怖さえ感じる。もちろん瞑想中は他にも色々とあるのだが楽しみを取る事はしたくないのでご自身の目で確かめてみてください。

 

自我の目覚め

そんなある日、身体的にも知識的にも賢くなったしたテールはレシーバーを持って逃げ出す。
ティバ及びドラーグ族に自分がおもちゃにされている事を知ったからだ。自我にはすでに目覚めていて機をうかがっての行動である。
そして逃げている最中で同じ人間の女性と出会いペット管理されている首輪を外してもらう事で自由の身となり人間の集落へと招かれる。助けてくれた女性はテールを学習を得ている高度な人間だという事を見抜いたからこそ連れていってもらえたのかもしれない。

集落の人間にもレシーバーを使用して勉強をさせる事で成長させる日々が続いた。

ちなみに人間にとっての1年間はドラーグ族にとっての1週間程度なのでドラーグ族からすると人間の寿命は短いという表現が用いられている。ペットにされた頃はまだ幼かったが、この頃だと10代後半~20代前半ぐらいまでの見た目になっている。
ドラーグ族の時間計算だと、恐らく半年近くぐらいは飼われていたのではないかと思う。

 

ドラーグ族による人間駆除

人間絶滅作戦と壁に記載がある事を集落に生活している中見つける。
字が読めるテールは集落にその事を伝えるが嘘つき呼ばわりされて縛られて監禁されてしまう。
もし、ドラーグ族が攻めてきたら自然の惑星に行こうという案が出ていた。これがキーワードとなる。

そんな中ドラーグ族は人間を絶滅させる為にガスをまく行動に出る。

人間絶滅作戦の始まりだった。この装置からホッケーで使用するような白いパックが発射され、それが毒ガスを噴射して人間を駆逐する。その他にも色々とあるが楽しみを取る事は(ry)

 

自然の惑星に行く為には惑星移動する手段が必要

逃げ延びた人間はドラーグ族が作ったロケットの墓場まで行く事とする。ドラーグ族の攻撃から生き延びた各地の人間達はロケットの墓場に集まってくるようになり都市となっていた。そしてレシーバーから学習をして、ロケットを人間用に改良する事に成功していた。だが最終目的はそのロケット使用して野生の惑星に逃げる事だったがまだ2基しか出来ていないとテールに報告がある。
この都市では、もともと幼少からティバと共に学習していたテールはリーダー的存在になっていたのだろう。

しかし、ある日、ドラーグ族の偵察機に都市が見つかってしまい攻撃を受けて人間が狩られてしまう。逃げ切れた人間だけで完成している2基のロケットで野生の惑星に逃げて着陸。すると頭の無い男女の像のつがいのような物がいくつもある事に不思議に思っていた。

 

混乱

そこにどこか見た事のある玉が浮遊してきてたので人間達はロケットに避難をする。
玉の正体は瞑想に入ると解き放たれる精神の玉だった。その玉は今まではどこかに向かっているという描写だけがあったが、この自然の惑星へと飛んできたのだった。という事がこの時点でわかるようなった。
そしてその玉は像の頭に装着されると像は動き始める。

これがドラーグ族の秘密で、野生の惑星で像の頭に玉を着地する事で異星人と婚礼式をあげる。
そうする事で生命エネルギーを得て種を保存していたのだという。
像自体も巨大なので人間用のロケットが蹴っ飛ばられそうになったので人間達はロケットからビームで像の足を攻撃すると像そのものが粉々になった。いくつもある像を人間がロケットからのビームで攻撃をしてすべてを破壊する事に成功。像の頭の部分に着地出来ない精神玉は混乱を起こして戻っていく。

その像の頭に精神を装着していた本体側のドラーグ族は像が破壊された事により目が白くなり視界が奪われる。
この状況が起こった事でドラーグ族は集会を開き前代未聞の危機に直面する事になった。

 

ドラーグ族からのある提案

自然の惑星での出来事を機にドラーグ族が人間がすごい技術を持って復讐してきているので人間狩りを中止する事を議会で決定する。ドラーグ族と人間が争う事に何も利益が無い。
ドラーグ族側から人間へ「和平」を持ちかけてその交渉をする事となった。

 

争いが無くなった後

和平についての詳細は描写はない。しかし人間は独自に発展していったという。
そして、もともと文明が先に行っていたドラーグ族に人間のその知識、文明を逆輸入する事になった。

ドラーグ族が人間から学んだ知識はこうだ。

「天然の惑星と人工の惑星がある。天然の惑星とは自然の惑星の事で瞑想の場である事、人工の惑星とは人間が作りその名をテール(地球)と呼ばれている事」

ドラーグ族、人間の種族存命をかけた争いの果て、ペットとしてではなく共に生きていく事、つまりは共存するべく別々の惑星で生きていく事になった。だけども今まで通りドラーグ族と人間が同じ惑星でも共存もしていったものもいるという。

ここで物語は終わりエンドロールとなる。

個人的に面白いと思える点をまとめてみた。

 

その1

議会での人間の文明証拠フィルム。

お気づきになった人もいるだろう。この文明証拠フィルムではよくわからない描写も確かにあるのだが我々が知っている物事の描写がある。それは農業、鉄道レール、書籍の描写があるのである。
この事から「地球以外の別の惑星でもすでにそのような暮らしがあった事」を想定して作られているのではないかと思っている。
ただ、惑星イガムでは人間は洞窟のような所に住んでいたり、服は男女で相違はあるものの原始人を彷彿させる出で立ちである。また、本を書いていなければ持ってもいないる描写も無かった。狩りの技術、戦う為の武器こそ持っていたが、レシーバーでの勉強の成果だろう。文明証拠フィルムよりは文明が後退していると見受けられるので以前の文明は滅んでリセットされている。ように思っている。ただ、ペットの人間は学習の有/無に関わらず別だ。

地球以外の別の惑星と書いたのは、和平発展後に人間からドラーグ族は地球は人間が作った人工の惑星であるという事。
この事から和平後にしか地球は存在していないので、地球以外の惑星での文明を築いていたという証拠フィルムであるからだ。

 

その2

共存の形。

同じ扱いとして人間とドラーグ族が同じ惑星で暮らす事(自然の惑星は瞑想の場なので生活はしていないと思われる)、人間が作った地球があり人間が生活している事。地球にはドラーグ族がいないととれるので人間の世界だろう。
テールの名前が付いている事からきっとテールが船頭をきって地球を作ったと思われるが、ドラーグ族とは同じ惑星では生活せずになぜ人間単独の惑星を作る必要があったのか。ドラーグ族の高い文明を吸収しているが為にそうしたのか。これは描写も無いので謎のままである。

現在の我々の時代の地球についてだが、例えばシュメール人、ギョデクリ・テペ、ピラミッド、ナスカの地上絵、神として扱われている人物など、原因がはっきりしていない過去のものが多く確認が出来ている。自分からするとだいぶ文明は発達しているように見えるがきっとまだまだなのかもしれないと思っている。

そういった事に対して、別の惑星人がいてその文明を引き継いだり教えを受けて人間が成長してきたという事を表現しているのかもしれない。もととなったオムがいっぱいは書籍化されていないのでその内容がわからないのでどこまでルネ・ラルーさん独自のものが入っているのかも不明である。

好奇心旺盛な方はきっとご存じかもしれないが、現在の世の中はヒューメイリアン、レプティリアンが人間と混じって生活、または世界を動かしていると言われているし、5Gのサービス開始が迫っているだが、次の世代の6Gも開発に入ったとされていて2030年頃にサービスが提供され2045年頃にはシンギュラリティが起きるとされている。恐らく個人的には2045年よりも前に起きるのではないかとは思っている。シンギュラリティについては以前に記事にしているのでそちらを見てみてほしい。

もうすぐ起こる世界の少し先を1973年の時代にすでに思い描いてるのではないかとさえ昔から都市伝説好きの自分は思っている。
そもそも都市伝説という言葉も死語で事実であったりする。たとえば、昔はフリーメーソンは都市伝説的な扱いだったがメディアに露出しているし実態がある。日本支部のロッジも住所も公開されてもいる。
※ただし、イルミナティについては謎は多い

1973年の時点ですでにこのような情報を持っており世間に情報開示をしているのかもしれない。インターネット技術はあるにはあったはずだがまだまだ発達していない時代にこのような情報を持っているのには違和感がある。そうすると、この小説の作者であるステファン・ウルも怪しいのではないかと思う。経験談、もしくは、身近で起きている事を描写しているのではないかとさえ感じてしまう自分はこういった類の話が好きだから仕方がないのである。

 

その3

瞑想。

今でこそ瞑想は日本でも認知度は高く、その効果は宇宙と繋がったりやチャクラ開放があったりするという。
自分は瞑想については初心者で瞑想についての体験談は語れない。
しかし、修行僧も瞑想をしているという事から何かしらの効果は高いのかもしれない。

今でこそ瞑想と言われてもわかるが10年前の自分では瞑想と言われてもまるっきりわからなかった。
そして1973年にアニメ映画で瞑想の描写がある事に本当に驚きがある。瞑想についてwikipediaを見てみた所、確かに昔から存在をしてるようではある。存在しているからとはいえ瞑想を描写する事でより一層この作品が芸術的で神秘性が増しているように自分は思える。

ドラーグ族は1日の大半を瞑想をしている。その目的は異星人との婚礼とあったが、身体を変化させる(勝手にされる?)描写もある。つまりは複数の瞑想での目的や形態があるのだろう。確かにwikipediaにもそのように記載がある。
ドラーグ族はある程度の年齢になると瞑想をするようになる。
建物の中の描写がなかったのが残念だが瞑想すると例の浮遊する玉の中に自分自身が入っており精神の玉のようになる描写もある。

ここでの瞑想の説明では「瞑想をする事で認識」をしているという。ティバは認識の道の1歩となる瞑想に参加する為に出かけたという表現があった。「認識」という表現は抽象的すぎてあいまいなのでこれについてはまったくもって不明なのでもっと知りたい気持ちでいっぱいだ。

 

その4

生命体。

生命体と言えるかは不明だが地面からは細くて長いものがいくつも描かれていたり、カメノテの細長いバージョンみたいなシャキーンとしているものも描かれていた。

そしてこのような良くわからない生命体。顔もあるし、鳥?のようなものを捕まえたりしてた。

他にも弱肉強食を連想させるような描写がある。人間を食べる大きな翼のあるコウモリのような大きな生命体や、卵から生まれたへんてこな生命体が大きな生命体に生後数秒で食べられたりといった描写だ。

このへんてこな生命体については実は初見ではない事を見ていて思った。
それはというと、人類の進化した姿として紹介されていたものだった。
ドゥーガル・ディクソンさんの図鑑である。根拠があるものではないですが数十万や数千万年後の予想姿とかも見れますのでこちらで拝見する事が出来ますので是非。
フューチャー・マンマン・アフター・マン

いかがでしょうか。作中に出てくるキャラに通じるものがあったりしませんか。

 

その5

画。

この絵は背景と人物を重ねる事で1つの画を作っている技術を用いているという。
紙の厚さにより、人物と背景が浮いてしまったりするそうなのだが薄い紙を使用されているのでまったく違和感も無く見れる。
鮮やかな色彩、色使いではあるが細部にまでこだわりのあるとても繊細な画だと思う。
気になるシーンでは映画を止めてその画を楽しむという事が出来るのも家庭用メディアならではの楽しみ方の一つであると思う。

 

最後に

このファンタスティック・プラネットはわずか72分の作品ではあるのだが制作には4年の月日がかかったそうである。こだわりのあるプロフェッショナルな作品を生み世の中に落としてくれた事にとても感謝したい。47年を経過した現在の2020年のいま、外国に住み、価値観や文化の違う自分が惚れ込む作品。

オリジナリティーが強く感じるものは好きである。
だけども現在の自分自身の好みや価値観、知識/興味が合致しているからなのだろうとは思う。
1つの作品にこんなにも「ひっかかり」があるアニメ映画には出会った事が無く奥深い為、何度も見れる映画である。

AIが全人類の知能を超える事を技術的特異点(シンギュラリティ)と表されているのだが、その「未来を想像」して作られているのかもしれないし、または、「始まり」を教えてくれているのかもしれないとさえ感じる作品で思慮深い人には好まれると思うので興味を持ってもらえたら是非見て頂きたいと思っている。
技術的特異点(シンギュラリティ)については2017年の1月に記事を書いているのでそちらも合わせてご覧ください。2030年以降の人類の生活はどうなるのか

人それぞれで色々な解釈があるはずなので、まったくの反対感想やより掘り下げて話をしたいとも思っているので感想を送って頂けたりしたら大変嬉しいです。気軽にコンタクトください。待ってます。

斯くして、地球外生命体が存在するのも千里の道も一歩から。

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