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母親の病との闘い日記2 ~祈り~

母親の病との闘い日記1の続きです。
そちらを読んだ上で見て頂けたら嬉しいです。

ざっくりとしたあらすじ。
前回は2月の後半に父親から母親の手術をするという連絡があってから手術前説明に眼科にいった3月25日までの話です。

今回は3月25日から4月19日までの手術、手術後通院までの話である。

 

4月15日が手術日なので3月25日から数えると21日間ある。
なんとなく過ごす21日間と手術をするまでの21日間とではかなり異なる。

さらには部分麻酔はするが、意識のある状態で目に穴をあけて麻酔をしてからの手術すると宣告されている。
つまり見えている状態での手術である。母親は手術をした経験が一度もない。
自分が言われたとしてもかなりの恐怖だったしストレスである。

ちなみに母親とは離れて暮らしている。
父親は土曜日しか休みが無いので日中もそうだが帰ってくるのも遅く母親は一人で常にいる事になる。

そうするとどうしても考えてしまうのだろう。自分宛てにしょっちゅう電話が来るようになった。手術の事はほとんど口には出してこなかったので、自分から手術に関して言う事はしないようにしていた。

 

4月15日の手術当日。
朝7時に起きて実家に向かった。

本来は車があれば良いのだけど自分は持病があり免許を持っていない。免許どころか車に乗る事も難しい。こういった時は持病に対して強い苛立ちを覚醒ない。足の悪い母親を歩かせてしまう事になってしまい申し訳なく思う自己嫌悪になる。

とにかく実家に母親を迎えに行き電車に乗って病院まで付き添いで行った。

病院に到着して受付をしてしばらくすると看護師がやってきて手術前問診。事前に通達している禁止事項を守ったりしているかなどの確認がある。その確認が終わると手術する目の方に目薬を2種類さす事になった。これを5~10分ずつ計4回差す。
手術をするまでにかなりの時間がある。この時間が結構なストレスになり母親もだいぶ緊張や不安の言葉を漏らすようになったので、励ましたりまったく別の話をしたりをして気を紛らわす会話をする事に集中した。

他にも年配の男性がいたのだが同じように目薬をされていた。
1人で来ているのでかなりのストレスなのだろう。時間が経つにつれて独り言が多くなり声も大きくなっていたので病院の待合室が変な雰囲気というか騒然としたので病院の方が相手をしていた。

 

いよいよ母親が呼ばれた。
着替えて手術室の前の麻酔をしたりするという。いそいそと歩く母親を見送り自分は待つ事となった。

約2時間後。手術を行った母親が足が悪いのもあるからか病院の方に付き添いして頂きながらゆっくりと出てきた。

「?!」

が、その顔を見た時に言葉が詰まった。

顔の右半分のおでこの少しした、口の上までを眼帯とテーピングやらで覆われていた。
その痛々しい顔を見てなんとか口に出来た言葉は「お疲れ様」だった。なんとも間抜けな声がけになってしまったが仕方がない。

会計待ちしていると、麻酔が切れてきてるのだろう。母親は目が熱くて痛いという。
自分は「麻酔が切れてきているからだろう。ただこれで良くなるはずだから」と言う事しか言えなかった。

帰る時は電車は乗れないからタクシーで帰る事にした。
普段は自分は車には乗れないが乗るしかない。共倒れになるわけにはいかないので自分に気合を入れタクシーで実家まで帰ってきた。自分に気合を入れるとは、タクシーに乗っている間は自分の足をつねって痛みを伴う事でそこに意識を集中させていた。その効果があったかどうかは定かではないが具合が悪くなる事なかった。
帰宅した時計は15時を過ぎた頃になっていた。

 

家に帰ってきてからが大変だった。
医師からは手術後は極力目を閉じておく必要がある。それをしないと1週間ぐらい目がゴロゴロして違和感がある状態になると言われていた。再手術になる可能性もあるとも言われていたのでおとなしくして欲しかったのだが、母親が寒気がする、頭が痛い、気持ちが悪い、目が痛いと言い横になっては起きてきてしまいおとなしく横になってくれないからだ。

実家に帰ってきてから2~3時間経過して、ようやく薬を飲む為にパンを少し食べて痛み止めやら目以外の他の症状の薬を飲んで横になってくれて少し寝れたみたいで体調が少し戻ったので安心した。寝てる時の母親の画像ですが閲覧注意です。

20時~21時に医師から状態確認の連絡が入る事になっていた。
20時40分頃になって電話が鳴りそこで状態を言って明日通院する確認をして電話を置いていた。

23時過ぎに父親が帰ってきたがすでに母親は就寝している事を伝えた上で今日1日の話を伝えた。そこから自分は次の日仕事があるので電車に乗って自分の家に帰宅した。日付も変わっていて軽くシャワーを浴びて長い一日が終わった。

今後は翌日の4月16日、4月17日、4月20日に通院して問診や検診がある予定になっている。
ここは午前中の一番早い時間にしてもらい父親が付き添いが出来る事になっていた。

 

4月16日。
朝から気がかりで仕方がなかった。朝ごはん、昼ご飯も食べる気分にもなれなかった。
現在はリモートワークなので家から仕事をしているが、電話をかけるタイミングが見つからず業務終了後に電話する事にした。

電話をかける前にある程度覚悟をしておく必要があった。
今回手術をした右目の方がかなりひどく現在でもほぼ見えてはいない。医師からは見えるようにはならないが明るさを感じる事は出来るようになると聞いていたからだ。ましてや、この状態はかなりひどく手術をしてもうまくいかない場合は再手術が必要になると言われている。

20時ぐらいだっただろうか。
実家に電話して状況を確認した。

今日の通院時はどうだったかという話を聞いても、母親は「眼帯が外れて今はもうしていなし痛みももうないよ」というような事しか言わないのである。
いや、だからそうじゃない、自分が聞きたいのは目がどういう見え方なのか見えないままなのかを知りたいという事を聞くと。

「んー?あー、少し見えるようになったよ」とさらっと言った。

「えっ・・・」
10秒ぐらいは絶句してしまったと思う。

なぜかおそるおそるだったが「少し見えるようになったの?!見えるってどう見えるの?」と自分は聞く。

「なんかどこどこかあいてるのか見るやつあるでしょ?それがいくつかは見えて正解出来た」と言う。

「・・・」「視力検査のやつ?円形だけど右とか下とかあいてるやつ?」と自分は聞く。

「そうそう、それ。ああいうの右目は見えた事無いから正解した事が無いから嬉しくってー」ってここで元気な感じで言った。

「えっ、それ視力が少し戻ったんじゃない?それ以外で何か見えるの?」と自分は色々と質問をしていくうちに確信した。

右目の視力が回復している!!

絶望的だから期待しないでと医師に言われていたのにも関わらずだ。明るさを感じるようになったから見えるようになっていると母親が思っているだけかと思ったが、医師からは視力は弱いが0.0いくつだから視力が無いわけではないよと言われたらしい。

自分が電話した時にすぐに見えるようになったと言わなかったのはわざと黙っていたわではなく、単純に自分からの質問に対して答えていただけなのである。自分が電話して何が知りたいのかという事に気付いていなかったのである。母親らしいといえば母親らしい。

母親が元気な声で嬉しそうに色々と話をしてくれていたが、そのうちだんだんと声の内容が頭に入ってこなくなっていた。
Twitterにも書いたような気がするが神社に何回か行ったのは祈りの為だった。外出自粛が現在はあるので神社にはいけなくなったが、自宅では毎日母親の手術の成功を祈っていた。

 

少しでも見えるようになったという事がとにかく自分としては嬉しかった。以前からも目が見えづらいと言っていたし、手術前説明の内容や手術する日までも日が空いていたし、手術当日も帰ってきてからも大変だった事を思い出しながら母親の話を聞いているうちにまた「何か」がこみあげてきてしまった。その「何か」は前回とは違うレベルのものでついには泣いてしまったのである。この間の3月25日の病院ではこらえる事が出来たが今回はもうこらえる事が出来なくった。

母親はびっくりして「どうして泣くの?」と不安がって言うのだが、しばらく答える事が出来なかった。
自分がやっと震える言葉で言えたのは「良かったね」という言葉だった。

その言葉に今度は母親が「仕事休んだり来てくれたりして迷惑かけちゃってごめんね」と泣いたような声になった。
泣いたような声というのは母親はもう涙を流す事が出来ない。視力が無くなっていた他にも両目から涙が出ないというのもある。泣きたくても涙が出ないので嘘泣きだと思われるのが辛くて嫌なのだという。
誰もそんな風には思わないと言ったが、「私は涙がもう出ないから私の前で泣いたらダメなんだよ。わかった?」と震えた声で言われた。

この言葉を言われた時に、自分はもっともっと心を強くしなくてはいけないと思った。
でも思いやりを無くすという事では決してない。その場での感情をコントロールできる強さを持ち冷静になれる強さである。

現状右目は16、17日の通院でも問題は無く20日の術後通院を無事に終えたら、毎日ではなく少し感覚をあけての2か月の通院となる事は事前説明で聞いていた。もちろん術後も気をつけていかなければならないだろうと思う。

 

そして次は右目より手術結果が期待出来ると言われていた左目の手術が来週控えている。
だが、あまりにも間隔が短いのと術後の体調不良を見ている自分は母親の意見を尊重したいと思い、母親が拒否しているので尊重をしてしばらく期間をあけるように父親を説得した。

しかし、左目の手術をしないからと言ってもまだまだ他にも色々あるのである。脳のCTスキャン、右耳がほぼ聞こえなく左耳は耳鳴りや雑音がある。つまりまだはじまったばかりのような気さえするが、とにかく右目の手術経過は今の所良好なのがとても嬉しい。いや、良好というよりも奇跡が起きたとさえ思っている。医師さえも明るさだけではなく視力が回復した事に驚いていたからだ。

4月19日。
毎日電話をして状況の確認しているが今日には目のゴロゴロが落ち着き、1ヶ月は目が赤いままと言われていたが白い部分が出てきたとも言ってるので良好である。

やはり「想いの祈り」は効果があるのではないかと改めて思った。
以前にも記事にしたが、虹や雲も「想いの祈り」で発生したと思う。

想いを伝える1つの手段である「祈り」は今後もしていこうと思う。

斯くして、祈りで奇跡を起こせるのも千里の道も一歩から

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