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「くうねるあそぶ」から「個人の知調考答」時代へ

「くうねるあそぶ」とは1988年にコピーライターの糸井重里さんが考案した日産・セフィーロのキャッチコピー。
自分が小さい頃テレビCMでも放送されていた。youtubeに動画がありましたので張っておきます。
出演されているのは井上陽水さんです。

「くうねるあそぶ」という言葉自体は覚えていたがCMを見ても覚えてはいなかった。

 

1988年の出来事を調べてみる。
調べる前に思いつくのはやはり4月4日、5日での東京ドームでのBOØWY解散。また、BOØWYの話を出して好きだなーと思われた方もいるかもしれないが好きなものは仕方がないのである。BOØWYで1番好きなアルバムは「INSTANT LOVE」
後追いでBOØWYを知って好きになったのだがBOØWY解散の年、それが1988年。
他の出来事は何かと調べてみると、2月にドラゴンクエスト3発売、3月に東京ドーム公開と青函トンネル開通などがあったそうだ。

1988年という時代はイケイケだったと感じる。そして、キャッチコピーの食う・寝る・遊ぶという言葉も時代に合っていると思える。言葉自体は今でも語呂も良くそのイメージも湧きやすく糸井重里さんは天才だと思う。

 

現在は2020年。日本だけではなく世界的にみても過去というよりほんの数か月前までとはまったく別と思えるほどの変化の激しいスピードの時代。テレワークだったり外出自粛といった今までにない生活スタイルになっている。
ほんの少し先に行ったら、今現在では常識とされている事がひっくりかえっているかもしれない時代。まったくわからない時代を自分らは生きている。

そんな時代を生きていくには「考える」という事を常にONの状態にしなければならない。少し前の世代だと「アンテナを張っておく」と言われていた事もあった。キャッチアップするという意味だとは思うが、過去の自分といえば流行り事にも興味ないく政治や世界情勢にも一切の興味が無かったので「自分のアンテナ」は小さかった。勘違いされても困るので書くが「アンテナが小さい」という表現は下ネタではないので一応書いておく。

 

そう、現在はスピードの時代。単純に情報をキャッチアップしているだけではまずいのである。そこで今自分がしている事は何かと考えると「知調考答(ちちょうこうとう)」をしている。
「知調考答」とは完全に自分の造語で漢字の頭文字であるのでしググっても何も出ないし人には絶対に話をしてはいけない。理由は言わずもがな、間違いなく「はぁ?」と言われてしまうからだ。せっかくマニアックな自分のブログを読んで頂いている方々に恥ずかしい思いをさせてしまうわけにはいかないので「絶対に」話をしてはダメですよ。
それ何の事と思われたとは思うが、漢字を見るとわりと直感的であるので説明は不要かもしれないが書きます。

知:知る
調:調べる
考:考える
答:自分なりの答えを出す

流れとしてはこうなります。
自分の興味のある事について何かを「知る」。これは前述しているようにキャッチアップのそれにあたると思う。
ただ、それが間違いがあるかもしれないので自分でもその事についてちゃんと「調べる」。そうする事で他者の意見がごろごろと出てくるので「考える」。そして最終的にその調べた事について「自分なりの答えを出す」というのが一連の流れでとても簡単な事である。
ただ、ここで終わりではなくループ性がある。Aという事に対して答えは出ていたが、別のBの事で「知調考答」した事により、Aの答えを疑い再度「知調考答」をするという事だ。「知調考答」をしていれば無意識でもループ性でやっているようになるしそうなるのが通例かもしれない。そして、そうする事でどんどんと自分自身を成形出来ると思う。

仮に他者に自分の出した答えを否定されたとする。それはその他者の価値観での答えなので気にする必要もない。その否定された内容に自分なりに「知調考答」をして同じになったならそれはそれで良いと思うしきっかけがあっただけで間違いだったわけでもないと考えるようにする。
つまり、何が正しくて正しくないかは常にその時の自分自身で決めるものだ。

 

とはいえ、過去の自分も右に習えをしていた時期も長かった。学生の頃なんかはまさにそれでその方がトラブルも少なくものすごく楽だったからだ。何も考えずに流されていけばいいだけなのでこんなにも楽な事はない。

たとえば、あくまでも流れに乗っていれば楽だという意味でだが流れるプールがそこにある。流れは反時計周りだったとする。その流れに対して時計周りに行こうとすれば人とぶつかったりや押し戻されたりするので困難になる。あくまでも例としての話だが楽と困難のイメージとして伝わったら嬉しい。

流れに逆らう事とかあえて人と別の道を行って孤立する事を進めているわけではなく、あくまでも今現在の自分自身の「知調考答」をした結果に自信を持って生きていこうという事を言いたいのである。考えるという事は素晴らしい事である。
常にONの状態では疲れる。お風呂に入ったりや何も考えない時間を作ったりとON、OFFを切り替える事も必要だと思う。

あと、考える事を見つけるのが出来ないという方にはおすすめなのが映画。クリエイティブなものには必ず作りての想いがあるからだ。内容がサスペンスとかじゃなくても問題ない。セリフやしぐさや服装や小物、風景とか様々な所にメッセージはあるはずなので考えるという事の練習や癖付けにも映画はとても良い。あくまで個人的な感想にはなってしまうが難しい映画も存在しているのでいずれおすすめの考える映画リストを作ってみたいとは思う。

最後に、考える事により自分自身や家族、友人、仲間を守れて、最後まで自分のマニアックなブログを読んで頂いている方がそれぞれの価値観での幸せになって頂けたらこんなにも素敵な事は無いと思っています。

斯くして、今日は、もうおしまぁいなのも千里の道も一歩から。

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