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母親の病との闘い日記3 ~想い~

母親の病との闘い日記1母親の病との闘い日記2~祈り~の続きです。
そちらを読んだ上で見て頂けたら嬉しいです。

ざっくりとしたあらすじ。
2月後半の手術する事になった話から4月19日の手術の翌日までの話。

4月15日に右目の手術を行った。
3月25日の手術前問診では、部分麻酔はするが、意識のある状態で目に穴をあけて麻酔をしてからの手術すると宣告された。21日間はかなりの恐怖だったしストレスで過ごす事になった。

そして、手術をしても明るさは感じる事は出来るようになるが、視力が戻る事は期待が出来ないので見えないままの可能性が高いので期待はしないようにと言われていた。

手術後は目の痛み、頭痛、眩暈、吐き気がひどく大変な一日となった。自分も付き添っていたが何も出来ずに、ましてや変わってあげる事も出来ずに無力感を感じながらも父親が帰ってくるまでサポートをしていた。そんな自分も具合が悪くなってしまった事もあり母親が手術をするのはかなりの負担があるという事がわかった。

手術翌日、朝通院し包帯や眼帯奇跡が起こった。
視力を計る○の文字の一部が左や上が開いている物の検査をした所、明るさだけではなく視力が回復している事がわかった。まさに奇跡が起きた。

その後も毎日連絡をとり状況を確認するが目のゴロゴロも2日間で取れ、痛みもない状態で手術後経過も問題が無く順調に来ていた。そして、次は左目の手術が控えている。

だが、前述したように手術後の母親の体力や症状を見ると難しいと思ってもいたし、何より本人がもうやりたくないと言っていた。
だが、医師、父親もやった方が良いと母親を説得しようとしてきていて困っていると母親は自分に連絡した。自分は母親の意見を尊重するように父親を説得した。
それでも母親にやった方がいいと言っていたらしいが、母親には「自分で左目の手術はしばらくやるつもりは無いとはっきり言うように」とアドバイスした。

 

4月20日
通院時に左目の手術はしないと医師に告げると、なにやらガタガタ言われたらしいが「やりません」をつっぱねて4月22日の手術はやらない事になったとの報告を受けて自分は一安心した。

手術をしなくなったので今後の通院について、症状やケア方法が異なるので右目と左目の薬が異なる事、新しくメガネを作って購入する事(右目と左目が異なるので現在のメガネでは気持ち悪くなってしまう為)などの話となった。次の通院は4月27日となる。

3月中もよく連絡が来たりしていたが、手術後は自分の方から毎日連絡をして状況の話や世間話をしている。本来は面と向かって話したいのだが現在は外出自粛である。自分がキャリアになって高齢の両親に移してしまったら大変なので電話での連絡で済ませていたが1つ気付いた事がある。

母親の声が明るくなった事だ。大変嬉しく思う。
通院こそ2ヶ月ほど続くのでまだまだ先はあるが一安心出来た。

だが、右目の手術が終わっただけである。
次は脳、両耳が控えている。耳は右耳がほぼ聞こえない状態と言っていて通院もしている。母親は満身創痍である。これからまだまだ母親の戦いは続いていくが父親と自分のサポートも続けていかなければならない。病気や体調面に気をつけて気合を入れて行こうと思っている。

自分をこの世に生んでくれた両親には感謝しているし、この両親の子供で生まれた事についても良かったと思っている。小さい時や今もそうだが人と違うものがあるので苦労や心配をかけてきた。自分が返す番という使命ではなく、単純に両親の助けをしていきたいと思う気持ちである。

 

この記事をここまで読んでくれている方は例外なく「人想い」だと思う。なぜなら多くの人が基本的には自分や家族の事以外は無関心だからだ。自分もそういう部分はきっとあると思う。だけど、自分、家族に加えて「仲間」に関しては同じだと思っている。以前にも書いたがそもそもでこのブログをなぜ始めたかという理由がそうだからです。「自分」が好きな映画や色々な事を記事にしてるがすべて「自分」であると言える。
「自分」、「家族」、「仲間」を大事にしてください。自分も続けていきます。ありがとう。

斯くして、感謝で生きることも千里の道も一歩から

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