死にたいと願うのはまだまだ余裕がある証拠
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それでも死にたいと願うのか。
今現在辛い状況にある人は多くいる事だろう。
 かくいう自分もまたしかりではあるのだが。
ここにある夫婦の話を書いておく。
 ノンフィクションと取るか、フィクションととるか。
 また、この記事を読んでもなお死にたいと願うか、生きたいと思うかは人それぞれだ。
だが、一人にでも多く生きたいと思う心が芽生えたら、
 自分よりも嬉しく思う人間がいるのかもしれない事を頭の片隅にでもおきつつ読んで頂きたい。
 
ある夫婦がある。
 その男性はガンである。
 年齢まではわからないが、60歳ぐらいなのではと思われるが詳細まではわからない。
日常から薬を服用し、通院し、骨髄液を抜いての検査も行っていて、
 病院も変えてみたが結果は変わらず、医師から余命宣告を受けたほどの深刻な状況だ。
しかし、余命宣告をされたにも関わらず、懸命に生きている。
 理由はというと、残される家族の為だという。
 奥さんの為、子供の為に出来る限りの事を行っている。
嫌だと思う事はやりたくないが、今日を生きている為に。
 今は今後をどう生きるのかより、どう死ぬかを日々考えているという。
 
奥さんは旦那さんにこういう。
 奥さん「骨髄を抜くのは嫌じゃないの?嫌ならやらなくてもいいんだよ」
旦那さん「嫌だけどやるよ。少しでも長く生きるられるのであれば」
奥さん「薬も嫌だったらもういいし、病院ももういいのよ」
旦那さん「長く生きるためだ」
奥さん「そんなに嫌な事なのに。これ以上身体を傷つけなくても良いのに。あなたは強いね」
旦那さん「強い弱いの話じゃない。生きるためだ。だけどどう死ぬのかという事でもある」
 
このやりとりを聞いた(聞えた)自分は心臓の鼓動が速くなるのを感じた。
 深刻な話をしているのは間違いは無い。
 聞こうとしたわけではなく、聞こえてしまったのだ。だが、このまま聞き耳をたてて良いのだろうかと。
 
しかし、会話は続く。
奥さん「〇〇だってきっと話をすれば協力してくれるって」
旦那さん「・・・」
〇〇はお子さんの名前なのだが、
 まだご夫婦に起きている問題を知らないという事らしい。
 だからこうやって公園のベンチで話しているのかという事に納得した。
旦那さんが、
 「これまでの選択は間違ったとは思っていない。
 上手く行かなかった事もあったが上手く行かなかった結果で間違いじゃなかったと思いたい。
 明日も生きられるかわからないが、どう生きるかじゃなくて、どう死ぬか。」
 
どう死ぬかという事とは違うが、心を打たれたような気がした。
 なぜなら、このブログをはじめたのは人生の最後に良い人生だったと思えるような人生にしたいと思っているからだ。
人生の先輩から学ぶ事は多い。
 しかし、年齢は関係なくその人の人生の話からは学べる事があると思う。
対人からは多くを学べる。
合わない人間からも注意深く見てみると学べる事もある場合がある。
苦手な人間には無理に近づく必要も無いが、自分の心構え1つでどんな人間からも学ぶ事は多い。— Akira (@GrandseaUmorous) 2017年5月10日
以前にtwitterでこんな事を呟いては見たのだが、どんな人間からも気付きを得て、学べぶか学ばないかはその人次第である。
 
苦労を知っている人間は強く見えるが、弱くある場合もある。
 しかし、その人の言葉は重たく響くのも事実だろう。
そんなつもりは無いが結果的には盗み聞きしてしまっていたのは事実だった。
 いくら隣のベンチだから聞えてしまっているとはいえ、その場からたつことは出来たわけだった。
 いつから俺は盗み聞きなんかする変態になってしまったのか。。。
人生において行動する事は大事なんてブログやtwitterにあげてるくせにこのままでいいのか。
 
ここは行動しかない。
 
思い切って話が断片的ではあるが聞こえてしまった事を謝罪し、また、心を打たれる言葉があった事も正直伝えた。
 そして、見た目にはわからないが小さい頃から患いがあって今も生きている自分の事をざっくりと話をして立ち去ろうとした。
 だが、聞えた内容に関して質問するような野暮な事はしなかった。
旦那さんから、ちょっと待ちなさいと言われて振り返ると、
 「自分も今は苦労しているがわかったのは4年前。
 家族もあり子供もいて幸せだ。
まだ若い君の様に苦労していない。さぞ辛いだろう。
 どんな状態でも生きなさい。自分からはそれしか言えない。」
 
短い会話だった。返す言葉は出なかったが頭を下げた。
 だが、公園から帰宅中の自分は泣いていた。
死にたいと思っているようならまだまだ余裕があるという事に気付かされた。
 どんな状況下でも真に追いつめられていたならば、きっと誰しもが生きたいと思うからだ。
冒頭にも書いたが悲観している誰かの心が前向きになる事があったなら、
 こんなに嬉しい事はないと思うので記事にした。
ブログを始めていなかったら勇気は出なかっただろう。
 優しい言葉をかけてもらいたかったわけではない。
 ただ、そこに同じく苦しむ人間がいたから少し話たかっただけだった。
当ブログのプロフィールにメアドやtwitterを記載しているが、
 まだまだ連絡があるのはごくまれだ。
文章はぶっきらぼうに見えるかもしれないのだが、動物占いでは「あの」コアラである。
 という事は、自分は愛くるしいに決まっている事は想像するまでも無いに等しい事実である。
 遠慮無しにコンタクトをとって頂けたなら嬉しく思う。
斯くして、行動をする事で明日へ繋げるのも千里の道も一歩から。
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